絹の歴史は古く、中国では紀元前2000年の殷の時代には製法が確立され、生産されていたそうです。
他の国では製法が分からず絹は金と同じくらい価値があるとされ、中国の最も重要な交易品だったようです。
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今も名が残るシルクロードを経てローマ帝国やフランスなどヨーロッパに渡り、日本には弥生時代ころ伝わったとされています。現存で明記されているものとしては、200年前後に秦の始皇帝の子孫、功満王(こまおう)が来朝帰化し仲哀天皇に蚕種を献上した、と下関の忌宮神社の記念碑に記されているそうです。
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その後、養蚕と機織りが日本各地に普及。大宝律令によって公民に養蚕が強要され、平安時代には48カ国に広がっていったそうです。
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江戸時代に各藩で養蚕が奨励され、その後明治時代に富国強兵の殖産産業政策の柱となり、近代日本の発展に欠かせない輸出品になりました。
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明治42年には世界一の輸出国になり昭和4年には3トンをこえる輸出量だったようです。
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主な輸出先はヨーロッパやアメリカで、なかでも細くて質の良い糸はアメリカのストッキング用に大量に輸出されたそうです。
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第二次大戦後はアメリカの恐慌と化学繊維の発達と共に輸出量が減少し、日本の養蚕業は衰退してしまいました。
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現在、国内で生産されているのは山形県と群馬県だけで実際の使用料の1パーセント程度になってしまい、ブラジルや中国からの輸入に頼っているそうです。
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絹は、蚕という虫が蛹になり繭をつくります。
その繭玉から糸を引きだしたものが糸となります。
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繭の糸は天然繊維の中で唯一の長繊維で一つの繭から1200から1500メートルの糸がとれます。細さは髪の毛の4分の1くらいだそうです。
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その繭糸を数本合わせて糸にしたものが生糸です。
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生糸にはフィブロインという2本の蛋白質の糸がセリシンという固い膠のような蛋白質で覆われています。生糸を精錬(セリシンを落とすこと)をすると絹糸ができます。
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精錬の仕方によって千差万別の風合いの絹糸を作ることが出来るのです。
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現在私たちが着物として利用している絹糸には大きく分けて二種類あります。
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一つは繭玉を煮て数本合わせてより合わせて一本の糸を作る前出の「生糸」です。
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こちらはまず生糸を機で織り白生地を作ってから精錬し、色や柄を染め上げるので「染めのきもの」と呼ばれます。
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手触りも柔らかくしっとりしているので「柔らかもの」と呼ばれることもあります。
留袖や振袖、訪問着、付け下げ、小紋などがそう呼ばれているもので、正装や礼装、略礼装などに用いられます。
地紋を織りだした生地に一色で染めた色無地の生地です。
生糸は一本の糸では細すぎるので「15中、21中」などと称して15個、21個の繭玉をより合わせて一本の糸をつくります。
上の写真は自分で座繰体験をさせてもらいひいた生糸ですが、鍋の中には50個のまゆがありました。体験中は糸車をまくのに必死で実際に何個分の糸がひかれて一本になっているのかはわかりませんでした。一気に50個煮ているという事は50中という事なのでしょうか???精錬していない状態なので糸はパリパリです。
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世界遺産となった富岡製糸場では工女さんたちが洋式の器械で糸を引きました。その糸は5個の繭の糸をより合わせて引いたもので、とても質の良い細いしなやかな糸が生産されていたそうです。高品質な絹は海外でも高く評価され富国強兵を経済の面から支える事となりました。
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物によりますが「柔らかものの着物」は一反に繭約2500個900グラムほど、名前は紬ですが生糸を使用する「大島紬」は一反に繭1900個前後660グラムほど必要だそうです。
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もう一つはなかなか糸が引き出せない繭をお湯で煮て柔らかくし、袋状に伸ばし(袋真綿)、それを紡いで糸にする「紬糸」です。
結城紬の工房の方からいただいた袋真綿です。手に乗せるとほっこり温かく、私のガサガサの手に細い繊維が沢山からみつきます。
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紬糸は租税として生糸にして提出出来ないものをもったいないので自家用にしようしたことが発祥となっています。
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この糸で織られた着物は各地で生産される特色のある紬となりお洒落着として用いられています。
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風合いも素敵でとても手間もかかり高価なものもありますが、そういった歴史から紬はお洒落着として使用され、正装、礼装には着用しません。
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紬糸は糸の太さが均一ではなく、節などもあるため生地にして染めるとムラが生じるため、糸の状態で先に染め、染めた糸で生地を織り、織りで柄をだすので「織りのきもの」と呼ばれます。
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産地や物によりますが、紬糸は繭5~6個で袋真綿一つになり、
一反には袋真綿が約50枚×7.5ボッチ(秤)必要といわれています。
単純に計算すると5×50×7,5=1875個の繭が必要となります。
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すべて手作業なので熟練した職人さんが行っても、糸取りから一反の反物にするには3~4カ月かかるそうです。
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「織りのきもの」の絣文様は経糸、緯糸それぞれに色を染め分け、それを組み合わせて文様をつくります。
一反分糸を模様を考えて染め分け、経糸と緯糸を模様を考えて組み合わせなければならないなんて、糸を作る方、染める方、機を織る方、各々の職人さんの技術に感心どころか感動してしまいます。
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最近では歴史的資料の糸の復元も色々されており、京都の桝屋高尾さんでは名古屋の徳川美術館から依頼を受け「黄金の捻金(ねんきん)袱紗」の復元に成功しています。
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色を染めた真綿の手引き糸に金箔を巻きつけた糸を使い「無地ねん金」「ねん金綴錦」などを製作しています。
色を付けた真綿の手引き糸です。
手引き糸に金箔を巻きつけた糸です。
復元された「無地捻金袱紗」です。
金箔を巻きつけた糸はぎらぎらした感じが無く優しい光を放ち、品の良い帯や袱紗などに使用されます。
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このような贅沢な技法を何百年も前の日本人が今ほど精密な機械もない時代に行っていた事は驚きとともにまたもや感激と感服です。
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これから先も古代の裂など沢山復元していただき、時代をこえた美意識の共有を楽しませていただきたいです。
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元々中国では絹の織物を「錦」といわれていました。漢字のつくりの「帛」も金の意味だそうです。
へんもつくりも「金」の意味なのですね。
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シルクロードで絹が世界に渡って行った時代、金と絹は同じ価格だったそうです。
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美意識とはかけ離れた話題となりますが、例えば一反に600グラムの繭を使うとしたら今の時代、金と同額でいうと300万円くらいでしょうか?
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びっくりするような高額ではありますが、こだわりの国産の繭を使って、国内の一流の職人さんに染めたり織ったりして誂えてもらうと「金=絹(着物)」も案外妥当な金額かもしれないですね。
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繭一つは約1250メートルの糸がひけるので単純に計算しても1900粒×1250メートル=2375キロメートル。
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JR鹿児島中央駅から先ごろ開通した北海道新幹線のJR新函館北斗駅までの線路の距離、約2150キロメートルよりも長いそうです。
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小さな身体のお蚕さんが作ってくれた膨大な長さの大切な糸で出来たシルク。
大切に使えばお着物も3代使えると言われています。
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私も母や祖母が着ていた羽織や着物を沢山受け継いでいます。
絹の勉強をし、より一層大切に着続けていきたいと改めて思うと共に、お母様やお祖母さまから受け継いだ大切なお着物をお持ちの方の「きもの生活」に微力ながらお手伝いが出来ればと思っております。
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最後までお読みくださり、ありがとうございました。
***yukihanakai***
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数年前より様々な文献を調べたり、産地を訪れ自分なりに勉強をしていた時に作成したノートを基に記しておりますので、このブログの内容は諸説ある中の一つでありますことをご了承くださいませ。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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